なぜ僕は、トレーラードライバーになったのか

こんにちは、池田颯(いけだ はやて)です。

今、佐賀県神崎郡吉野ヶ里町で、運送業向けの業務改善システムを作っています。「よかよかワークス」という小さな事業です。

前回の記事では、「元トレーラードライバーが、運送会社の日報をデジタル化しちゃいました」という話を書きました。

そしたら、何人かの方から「そもそも、なんでドライバーになったんですか?」と聞かれました。

確かに、これ書いてなかったなと。

今日は、その話をします。

長くなります。よかったらコーヒーでも飲みながら、ゆっくり読んでください。


高校卒業して、すぐオーストラリアへ

僕、高校卒業してすぐ、オーストラリアにワーホリ(ワーキングホリデー)で行きました。

なぜか。

自分の目で、外の世界を確かめたかったから。

これだけです。

僕、昔から「人から聞いた話」を信じない性格なんです。誰かが「アメリカは〇〇だ」「ヨーロッパは〇〇だ」って言ってるのを聞いても、「いやそれ、自分の目で見たんか?」って思っちゃう。

ニュースもそう。本に書いてあることもそう。
自分の目で見ないと、信じられない。

だから行きました。

両親には「何しに行くの?」「目的がないならやめときなさい」って言われました。

でも、両親、わかってたと思います。僕が言うこと聞かないことを。

「まあ、どうせ行くんでしょう」みたいな感じで、結局送り出してくれました。


なぜオーストラリアだったか

正直に言います。安易な理由です。

  • ワーホリで一番人気
  • 治安が良さそう
  • なんとなく明るそう

それだけです。深い理由なんてなかった。

でも今思うと、これでよかった

「行きたい」と思った時に、深く考えすぎないで動ける。これ、10代の特権です。


図書館で履歴書作って、歩いて仕事を探す日々

オーストラリアに着いて、最初にやったこと。

市の図書館で会員カードを作る。

なぜか。
パソコンとプリンターが、無料で使えるからです。

そこで履歴書(レジュメ)を作って、印刷して、片っ端から歩いて配りました。

歩いて、配って、面接して、また歩く。

英語、ほとんど話せませんでした。
何を言ってるか、ちょっと分かるくらい。
喋るのは苦手で、「Yes」「No」しか言えなかったレベル。

それでも、なんとかなるんです。
履歴書渡せば、何かしら反応が返ってくる。

最終的に拾ってくれたのは、ラーメン屋でした。
その後、寿司工場にも雇ってもらいました。

これがオーストラリアでの僕の仕事です。


オーストラリアで見た景色

何もかも、新鮮でした。

道がデカい。
日本の何倍ある?って広さの道路。

空が青い。
日本の青と全然違う。突き抜けるような青。

街路樹も違う。
日本のソメイヨシノとかケヤキじゃない、見たこともない木。

鳥が、カラフル。
オウムみたいな色鮮やかな鳥が、普通に空飛んでる。「え、これペットが逃げたん?」って思うレベル。

そして、面白かったのは:

路面電車の中に、サーフボード立てが設置されてた。

「えっ、サーフィン行く時、これに立てて電車乗るの?」って衝撃でした。
そういう街なんですよ、オーストラリアは。

あと、お札(紙幣)がプラスチック製でした。
水に濡れても破れない。日本円みたいに紙じゃない。

この国、面白いな」って思いました。


英語は、赤ちゃんみたいに覚えた

英語の勉強、机に向かってしたことはほぼないです。

赤ちゃんと同じやり方で覚えました。

人が言ってる言葉を、ひたすらコピー。
「Hello」「Thank you」「Sorry」
こういうのを、聞いて、真似して、また聞いて、また真似して。

最初は意味わかってなかったけど、使ってるうちに体に染み込んでくる

「あ、これ、こういう時に使うんだ」
「あ、こう言われたら、こう返すんだ」

そうやって、少しずつ、世界が広がっていきました。


当時の自分は、今の自分に何を期待してた?

オーストラリアにいた頃の僕、すごいチャレンジ精神ありました。

失敗を恐れず、ガンガン行く
できないことはない
自分は何にでもなれる

そう思ってました。

その時の自分は、今の自分(20代の池田颯)に、こう期待してたと思います。

「もっと大きい人間になってるはず」
「もっと色んな経験してるはず」
「もっと自由に生きてるはず」

…どうかな、その期待に応えられてるかな?

正直、まだ途中だと思います。
でも、今も挑戦は続けてる
それだけは、当時の自分に胸張って言えます。


ビザの関係で、日本に帰国

楽しかったオーストラリアの日々。
でも、ワーホリにはビザの期限があります。

期限が来て、日本に帰ってきました。

帰ってきた時の心境、よく覚えてます。

コンビニのおにぎり、超美味しい。
街が、清潔。
嫌な匂いがしない。

正直、この国、ヤバいです。

オーストラリアも素敵な国でした。でも、日本に帰ってきて改めて気づいた——日本のサービスのレベル、世界トップクラスです。

最近、若い人が「日本ヤバい」「日本オワタ」みたいなこと言ってるじゃないですか。
気持ちはわかる。経済も、政治も、確かに色々ある。

でも、外から見た日本は、めちゃくちゃ素敵です。

清潔さ、サービス、安全、食事、交通、人の優しさ

——こんなに恵まれた国、ないですよ

僕、今も日本が大好きです。


たまたま見つけた、2トントラックの仕事

帰国後、何しようかなって考えてました。

オーストラリアから帰ってきた20歳すぎ、特にスキルもない。
そんな時、ジモティー(地域の求人サイト)で求人を見つけました。

「2トントラックドライバー募集。土日休み。月給〇〇万円」

シンプルで、わかりやすい条件。

運送業に興味があったわけじゃないです。

ただ、運転は嫌いじゃなかった。
むしろ、好きだった。

「やってみるか」
それくらいの気持ちで、応募しました。

これが、今の僕の人生の始まりになるとは、その時は知らなかった。


トラックって、楽しい

実際にトラック乗り始めて、気づいたこと。

運転、楽しい。

街を走ってると、目線が違うんですよ。
普通の車より高い視点。世界が広く見える

そして、一人の時間が長い。
これが、僕にめちゃくちゃ合ってました。

トラックの中、自分だけの空間。
誰にも邪魔されない。
色んなこと考える時間が、たっぷりある。

この仕事、合ってるかも
そう思いました。


そして、世の中がコロナになった

トラック乗り始めて、少ししたら——

世の中、コロナ禍に突入しました。

世界が止まりました。
飲食店、潰れていく。観光業、壊滅。
旅行も、外食も、できない。

人々が家から出れない状況。

でも、トラックは止まらなかった

「物流」って、社会のインフラなんです。
人がどれだけ家にこもっても、モノは動き続けないといけない

スーパーに食べ物が並ぶのも、Amazonで頼んだ荷物が届くのも、全部、トラックドライバーが動いてるから

僕、コロナ禍を、運転席から見てました。

外で苦しんでる人がたくさんいる中、僕は普通に働けてた
これ、ありがたかった。

そして、ドライバーという仕事の社会的価値を、肌で感じました。


もっと大きいトラックに乗りたい

2トントラックで街を走るうちに、ふと思いました

「もっと大きいの、乗れるんじゃないか」

街でたまに見る、大型トレーラー
あれ、めちゃくちゃカッコいい。

俺もあれ乗りたい

シンプルな憧れ。
それだけで、大型免許取りに行くことにしました。


広島で3週間の合宿免許

僕、その頃、福岡に住んでました。

合宿免許で、広島まで行きました。
3週間の泊まり込み

取ったのは:

  • 大型免許
  • けん引免許

両方取らないと、トレーラーには乗れない。

お金、40〜50万円くらいかかりました。

正直、安くはない。
でも、新しいことを学ぶの、僕は楽しいんです。

毎日、教習所で、巨大な車両を運転する練習。
最初は、全然動かせない
カーブ曲がれない。バックなんて無理。

でも、3週間で、なんとか乗れるようになる

人間の体、すごいです。
新しいスキル、ちゃんと身につく。


トレーラードライバーは「免許があればできる仕事」じゃない

これ、伝えたいことです。

トレーラードライバー、完全に技術職です。

免許持ってるだけじゃ、できません。

  • 車両の挙動を体で覚える
  • 路面の状態を瞬時に判断する
  • 積荷の特性を理解する
  • 現場ごとの「入り方」を頭に叩き込む
  • 天候、時間帯、交通量を読む

これ全部、毎日の運転で体に染み込ませていく

ベテランの先輩を見ながら、自分で運転して、失敗して、覚えて——
何年もかけて、ようやく一人前

「免許取ったから、明日から乗れる」じゃない。
何年もかけて、技術を磨く職人です。

だから僕、ドライバーって仕事を、心から尊敬してます。


重い荷物を運ぶ毎日で、気づいた「無駄」

低床トレーラーで、毎日重機を運ぶ生活が始まりました。

ユンボ、ブルドーザー、クレーン——
1台10トン、20トンする巨大な機械を、毎日運びます。

その日々の中で、気づいたことがありました

この業界、あらゆるところに無駄がある

  • 紙の日報
  • 字が読めない問題
  • 月末の電話地獄
  • ベテラン依存
  • 事務員の3時間転記
  • 新人の電話相談50回/月

全部、仕組みで解決できるのに、誰もやってない

じゃあ、自分でやるか
そう思いました。


それで、今、ここにいる

オーストラリアでラーメン屋。
寿司工場で寿司の製造。
帰国して2トントラック。
コロナ禍を運転席から眺めて。
広島で50万払って大型免許とけん引免許取得。
低床ワイドトレーラーで重機を運ぶ毎日。

そして、運送業の業務改善システムを作る今。

全部、繋がってる

ひとつでも欠けたら、今の僕はいません。

オーストラリアで見た「異質な世界」が、固定観念を壊してくれた。
コロナ禍で見た「社会のインフラ」が、仕事の意味を教えてくれた。
重機を運ぶ毎日が、「業界の課題」を体に刻んでくれた。


トレーラードライバーって仕事、おすすめです

ここまで読んでくれた人に、伝えたいこと。

トレーラードライバー、おすすめです。

理由:

① 手に職がつく

免許だけじゃない、技術が体に残る
これは一生もの。

② 一人の時間が多い

人間関係に疲れた人、運転が好きな人、最高の仕事です。

③ 社会に必要とされてる

コロナ禍でわかった、物流は止まらない
社会から必要とされる仕事です。

④ 給料、悪くない

業界によるけど、長距離なら年収500〜800万円も狙える。

⑤ 何より、景色がいい

トラックの運転席から見る景色、乗用車では見られない景色です。


ただし、覚悟は必要

正直に書きます。

  • 体力勝負
  • 拘束時間が長い
  • 朝が早い
  • 事故のリスクある
  • 体を壊す人もいる

楽な仕事じゃないです。

でも、やりがいは確実にある。
誇りを持って働ける仕事です。


迷ってる若い人へ

もし、今、人生に迷ってる若い人がいたら、伝えたいことがあります。

自分の目で見てください。

人から聞いた話、ネットで読んだ話、それだけで判断しないで。
実際に、自分で動いて、自分の目で見て、自分の体で感じる

嫌ならやめたらいい

僕、それで人生変わりました。

オーストラリアに行ってなかったら、トラックに乗ってなかったら、起業してなかった。

全部、一歩踏み出した結果です。

迷うのもいい。
怖いのもいい。
でも、動いてみないと、何も変わらない


最後に

ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

僕、ドライバーって仕事、本当に好きでした。
今は別の形で運送業に関わってますが、ハンドル握ってた日々を、一生忘れません

次回は、また別の話を書きます。
ドライバーの日常か、起業の話か、迷い中。

それでは、また。


🚛 池田 颯(いけだ はやて)
業務改善よかよか/よかよかワークス代表
元・低床ワイドトレーラードライバー
佐賀県神崎郡吉野ヶ里町

▶ よかよかワークス公式サイト

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